とある会食で、興味深い話ができました。
みなさん仕事をいくつもされていて柔軟な思考をもたれているので、アイデアが次々に出てきて話が尽きません。
初対面でも海を越えて医療や科学、美容などあちこちから集まっている人たちとの会話は非常に面白く、多分全員でコンサルなどすると百万単位で報酬がくるのでしょうが、それでも結局クリエイターは自分が何を創りたいかに落ち着くので、同じ方向を向く相手としか組むことはできません。
みんな好きなのだけど、そこは各自の想いを尊重ってとこでしょうか。
不思議に思われる方もいるかもしれませんが、正直に想いを話し合う出し惜しみのない方々との会話は、瞬時に相手を受容できる者同士の楽しみの一つです。
大学の研究室に居なくても、同類は引き寄せ合っていずれ出会いますね。
そんな時間を過ごして帰宅して、手土産を持参した方の家で、思いがけず同居人と一緒にお酒をいただくことになりました。
母と同い年のその方には引越し前から声をかけていただきよくしてもらっていますが、いつも私は思うのです。
母も本当は、私にしょっちゅう来てほしかったのだろうなって。
十八で家を出て以来三度離婚しても一度も実家に住んだことのない私は、まだ途上国に移住したいくらいでした。
前しかみない私の背中に「近くにいてほしい」と母は言えなかったのかも。
だから村で一緒に住もうって話になったのに、生粋の都会人の父に合わせてたった二ヶ月で一緒に帰ったりするから死んじゃうのですよ。
負の連鎖を止めることが真の先祖供養
愛の循環もうまくできています。
親にしなかったことをどこかで誰かにすることになり、息子たちが自立していて必要がないことをカッコーの卵にすることになったりします。
今日も皆さんありがとう
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