綺麗にすること。
これは、他人に見せるためにすることではなく、もっと深いものです。
身なりを綺麗にすることは、難なく他人が近寄れるようにしておく衛生的な本能だと思います。
例えば、不快な臭い、汚れた衣類、こういったものは他者にリスクを与えてしまいます。
なので、近寄りたくないという感情が湧きおこるのでしょう。
生物的に考えると『交尾』の準備のような役割もあるのかもしれません。
また家の中や周囲の掃除をすることも、本能的なリスク管理でしょう。
せっかく建てた雨風凌ぎ、動物に襲われない『家』という安全な場所を、ホコリなどで不衛生にしてしまっては、ゆっくり横になる事も出来ません。
そのうち虫や鼠までわき始め、食品にも何かが混入したりして、誰も来なくなるかもしれません。
地球は、産み出した生物が何も教えなくてもやっていけるように、私たちにも必要な感覚を与えてくれています。
今朝は公道と石庭の掃除をしていました。
簡単にブロワーでゴミを飛ばす掃除でないからこそ、野生のスミレが種をつけていることや、何かしら野生動物の来た『証』がそこに在ることに気づいたりします。
家の掃除も、箒と雑巾で全部屋すると半日かかりますが、掃除機を持って歩くだけじゃないからこそできる心の浄化があります。
気付かなかった床のキズや、拭き掃除の後の空気の変化。
衛生的な本能だけでなく、心も澄んでいくような気がするのは、家の中の空気が変わるからかもしれません。
雑巾で床や棚などを拭いてまわった後のバケツの水を見れば一目瞭然。
あれを放置しているのは怖いですね(笑)
掃除機だけではあの小さな生物たちはそこにいるまま。
ニンゲンが密閉された家などを造ってしまったがゆえに、人間都合できちんと処理しなくてはならない環境となりました。
初めからなにもしないのが最も賢いやり方だったと思います。
まだ土と共に眠っている先住民族もいますからね。
地球に逆らった私たちのような民族は『仕事』に命の時間を使いまくっています。
何故に命の時間をそんなことに捧げているのか。(嬉しい仕事なら別です)
次々にゴミを作るのはもうやめにしたいものです。
浄化も追いつきませんしね。
環境問題を前面に出すなら電気とそれにまつわる製品を廃棄していけば、話は早いと思います。
以前環境学の受講時に、権威の教授が仰っていました。
「日本なら昭和40年代に戻ればいい」
扇風機、小さな冷蔵庫、地域の市場に買い物かごを持って歩いて買い物。
新聞紙に包まれた野菜。
バラ売りの卵。
物は皆高かったけれど、今ほど無駄はなかったように思います。
産直はなく、食べたいものがあれば旅行で訪れた時に有難くいただく。
1ドル380円くらいの頃ですね。
心も同じ。
棄てることが肝要です。
何も持たないほどに、軽く美しくなっていきます。
新聞に載っていましたが、電力消費は今後倍増していく様ですね。
当たり前(笑)
なんだか辻褄が合いませんね。
でも所詮は生物の一種でしかないニンゲン。
地球はそんなに馬鹿ではないので、自然淘汰するでしょう。
必要なら此処に在って 必要なければ淘汰される
今日も皆さんありがとう。
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