意識と事象

今年に入ってたて続けに「よくないこと」ばかり起こっているように感じていました。

父が脳梗塞で倒れたのは単なる老化で、母が圧迫骨折でおもうように動けなくなったのも老化、長男が敗血症で入院を勧められたのも栄養不足、娘の急性胃炎は働きすぎ・・・・

理由を考えれば辻褄は合います。

辻褄があっていてもあっていなくてもそういう時に頼られるのは私で、その都度出向いて根源を探たりケアしたりと、心底疲れ果てていました。

コニーサンの最後の遺伝子のリンが6月に逝ってしまったことで不幸のどん底にいる気分だったのも要因の一つかもしれません。

そんなある日、夕食の準備をしていて焼き物をひっくり返したときに鉄製のフライパンにいれた油が、運悪く私の両目全体にバシャッとかかってしまったんです。

「今日は油をいつもより多めにいれて揚げ焼きにしよう」

と、なぜかその日は思ってしまったんですね。

流水で冷やして精油を全体に塗り、ベランダの植物をはりつけながら、

「あぁ、私の何かが間違っているんだな」

と考えていました。

目は咄嗟に閉じたので両瞼や眉間、鼻、目じりや目の下が赤くなり痛くてヒリヒリしていましたが、水ぶくれになっても今までも治してきたので病院には行きませんでした。

ケロイドになった元旦那の火傷は1500度の溶鉱炉の蓋が背中に当たってできたものでしたが、いま瘢痕はありません。

太ももに熱湯をかぶって水泡も大きく出来た私の火傷も、あとかたもなく消えています。

今回は目の周りの皮膚の薄い部分なので心配でしたが、ケアに関しては過去に治してきたときと同様のことをしました。

父が半身麻痺になり、母が腰の圧迫骨折で動けなくなり、長男と娘も同時期に病・・・・。次々に家族がそんな状態になり自分の自由な時間がとれなくて心身ともに疲れていました。

「私、何か悪いことしたっけ?」

という驕りがよくなかったんだと思います。自分では何も非がないように思っていても、そういう意識の波長は決して幸せな事象を生みません。

近頃、家族それぞれの想いをきちんと受けとめていなかったのではないかと反省しました。

敗血症になった長男とも何が間違っていたのかについて話し合っていた矢先でした。

感謝と言葉で簡単に言いますが、言葉だけでは意味がありません。

長男が歩いた時、病院にもスタッフにも主治医にも家族にも、周囲の人たち皆に感謝していました。

最近の私には愛が足りていなかったのではないかと顧みるよい機会になりました。

愛や感謝で満たされる毎日はこのうえなく幸福です。

皆大事に至らず喜ぶべきことなのに、私は疲れ果てていたのです。

家族がこうして笑って会えることや助け合えることに慣れすぎていたかもしれません。

そういう思いがさらに意識が低くなるような出来事を引き寄せるのだと感じます。

何かを所有していてもしていなくても、幸福感は個としての富であり成功です。

多くの物を手に入れることを成功とは呼べないし、素晴らしい肩書を付けていながら孤独で不幸な人は山ほどいます。

大切なことは、他者や環境に左右されない幸福感で満たされた人生を送ることだと思います。

それは誰にも奪われることも変えることもできない本当の富だと思うのです。

 

しばらく父が我が家に住んでいて一気にリハビリを進めたのですが、実家に帰ってからの父の表情が以前のように明るくなり、母の精神的な疲れも軽減したようでした。

18に結婚して家を出て以来一緒に住んだことがありません。父は私のスパルタなやり方に恐れおののき、家に帰りたくてものすごく頑張ったのかもしれません。

でも結果的に両親が仲良く二人でやっていこうという気持ちになったことは、同居して継続的に助けることよりも喜ぶべきことではないかと思っています。

長男が敗血症で命に係わる状態であったにも関わらず、すぐに正常値になったことや、夫が長男と一時的に同居を了承してくれて療養させてくれたことは、決して当たり前のことではありません。

また再三の注意も訊かず、長時間勤務で連勤を続けて急性胃炎になった娘ですが、しっかり休ませてもらいなんとか職場復帰ができました。

私の火傷も三日でほぼ治りました。

もう5年半付き合っている夫ともだんだん馴れ合いになりつつありますが、

「あなたの幸せってどういう状態?」

と何度も聞いてみたりしています。

幸せのために一緒にいるのに、変化の確認や少しの気遣いを怠っていたように思います。

今回の一連の事象はそれぞれの意識の低さから起こった必然のことで、改善すべきは心です。

辛く悲しいことももちろんありますが、それでもひとつひとつ受容して前に進んでいくことで好転するだろうと前向きに考えることにします。。

 

そんな風に考えながら、生物にとって楽園ともいえる澄んだ空気と美味しい水と肥えた土壌のある場所に思い馳せ、アスファルトに塗り固められた街を眺めていました。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

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