生きるほどに、どんな存在も成長し変化していきます。
別の言葉で表すなら、死に向かうということでもあるのでしょうか。
誰しも振り返ることはあると思いますが、時に誰かの瞳が遠い過去を見つめているように感じることがあります。
例えば、成長した今の我が子ではなく、幼少期の彼ら。
年老いたパートナーではなく、出会った頃の彼や彼女。
昔住んだ場所や従事していた仕事、そして懐かしき時代背景など……
「過去を振り返っても無駄だ」という人がいますが、そうではない人もいる気がします。
彼らの瞳に遺る遠い過去の点は、きっと現在(いま)よりも愛に溢れた瞬間だったのかもしれません。
幼少期の子供との時間や、出会った頃の彼や彼女と過ごしたあの日、または昭和という時代などを。
そして、何より今ではなく過去の自分を。
その過去の点があったからこそ、なんとか生きている人々もいるのかもしれません。
動物行動学の本を読むことが多くなりましたが、愛している仲間に先立たれ食べなくなり後を追うようにして逝ってしまう動物もいるそうです。。
果たして、過去を愛しその記憶を糧に生きることは、よくないことなのでしょうか。
人はみな精神の鍛練をし、進まなければいけないのでしょうか。
我が家に居た齧歯類の彼ら10匹の中で、どう見ても特別な感情を互いに抱いていたグレイとモチ。
グレイが逝った直後、誰の目にも憔悴しきったモチの姿に涙しました。
元気だった彼が三日も食べず、体毛は抜け始め、一か月後グレイの後を追うように逝ってしまいました。
彼らは彼らなりのコミュニケーションがあり、好き嫌いがあるのもよくわかりました。次々と仲間が逝ってしまったことも皆知っているようでした。
同様に、群れる動物の一種でもあるニンゲンも、愛する存在がこの世にもういないということが最大の不幸となり、食欲が落ち、免疫力が低下し、やる気を失い、自然に生を終えていくこともまた自由な選択の一つなのかもしれません。
大多数の人が特定の意見に同調し、正誤を決めてしまうことには強烈な違和感を覚えます。
夢を追い求めている人が過去を振り返らないということも理解できます。
現在(いま)を大切に、というスピリチュアル系の意見もわからなくはありません。
でも個々の幸福をはかることに焦点をあてたなら、変化することが不幸である人も大勢いるのかもしれません。
過去は二度と戻らないけれど、どのような状態であっても生きていること称賛したくなるのは、その人が悲しみを受けとめて懸命に生きているからなのかもしれません。
そして、たとえ進化など全くせずに絶滅したとしても、その血が絶えたとしても、同じ世界に生きていたということはやはり歓喜すべき奇跡なのだと思います。
今日も皆さんありがとう。
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