私たち一般人はなにも知らない故にお花畑に住むことも可能だと思います。
悪人だというレッテルを張られ、犯罪者になることは正しい裁きの下行われていると信じて疑わない幸せな人も多数存在し、実際は生涯捕まらない人もいるし、冤罪で逝ってしまう人だって世界中にいるということなど、歴史の本を真剣に一冊読んでみたりすれば理解できることです。
実際、何も知らない第三者が偉そうに評論することは避ける方が賢明です。
物事の意味付けは常に片手落ちで、言いたくても言えない人が世の中には多数いることは想像に難くありません。
そう考えると、裏の裏の裏の思考で事象を捉えることも出来て、大多数が悪人とレッテルを貼るあの人が、実は訳あって悪人を演じていて、傍らにはサポーターも幾人もいたりするのかもしれません。
「君は僕を糾弾する役ね」
「では、僕が反対勢力のリーダーになるんですね」
「ごめん。相当たたくけど、ご家族は大丈夫かな?」
「これで無知な奴も少しは気づいてくれるだろう」
などという暗黙の了解のような役割分担が、舞台さながら繰り広げられている可能性だって否めないのです。
となると、何も知らない一般大衆の私たちに誰かを責めるようなことが本当に出来るのでしょうか?
本当の悪人は、無知な人です。
無知ゆえに平気で人を責め、貶めるのです。
ハムスターを11匹飼っていました。
うちで生まれた彼らは、教えなくても全員回し車で走り出し、ヒマワリの殻の剥き方を知っていました。
私たちが同じサピエンスだというのなら、思考や行動はパターン化されているはずです。
世界が小さくても大きくても、通帳の印字の桁が多くても少なくても、小学校の班活動でも世界の政でも同じことが起きるのです。
先ずは自分の心を顧み、誰かの哀しみを想像し、祈り、『平和な自分』を創りましょう。
どんな大河も源流は僅かな湧き水だったりします。
あなたの今日の行動は世界を変えます。
思い込みを外してみると視野がぐっと拡大します。
世界観は一瞬で変わるのです。
万物に幸あれ
今日も皆さんありがとう
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