これだけ明確に、人々の視えている世界や信じているものが千差万別だとわかった時代もないでしょう。
それは多分、かの有名なセルビアのタラビッチの予言に出てくる『イメージの視える箱』のおかげなのでしょう。
生れた時からテレビがあった時代に生きれば、そこにヤラセがあったとしても、学校以外の多くの知識を得ることも出来、地球の中の視えない線で引かれた国という中だけの常識と地球の他地域で起こることの違いを、子供でも理解できたことでしょう。
ですが、自然の摂理は動かせません。
小さな頃に視た雀やゴキブリの動き、都会を走るイタチ、それだけで人間の嘘に気づけます。
そんな子どもにさえわかることでも、残念ながら未だに気づかない大人も存在します。
かつて気付いていた子どもだった人も、いつの間にか記憶をなくした大人になっていたりもします。
事実と、自分が都合よく創ったファンタジーとは、似て非なるもの。
それでも人間は、それぞれ自分のファンタジーを創り、時に他者にそれを強要します。
陳腐で滑稽な生き物です。
「あなたはそうかもしれません。それは自由です。ですがあなたは、他者に何かを強要できるような素晴らしい生き物なのでしょうか?」
といつも心の中で問うています。ずっと長い間、誰にでも。
この世で見た美しき生命はいつも『人間以外』でした。
ですから自分たちニンゲンは最下等動物なのではないかという疑問が常に湧いてきてしまいます。
どんな肩書をつけても所詮はそういった生き物。
まずは己が何たるかを知れば、決して胸を張って生きることなどできないのです。
家畜と名をつけ虐待し続け、動物たちに実験しなくてはわからないようなものを作り続け、ペットという名の命の売買や閉じ込められた見世物施設まで作る始末。
動物を観たいならKenyaかTanzaniaに行きましょう。
海洋生物を観たいならFIJIに行きましょう。
こんなにたくさん地球にゴミを創っておきながら、まだ何かを欲しがったり、まだ他者から搾取しようとするのはなぜなのでしょうか?
自分は何故このような動物に生まれてしまったのでしょうか。
それでも今もこうしてサバンナを歩くマサイなどの先住民には、地球の破壊に荷担し続ける『文化的』なニンゲンの一員として深く懺悔をするしかありません。
彼らのように、地球と融合できるような生き物であったなら、きっとまた人間として生まれたいと考えたでしょう。
誰しも自分の創ったファンタジーの中で主役として生きています。
なのに他の生き物のお話づくりを信用するなど、もはや、狂気の沙汰。
自分だけ助かると思って利己的な行動に出れば出るほど、余計に助からないのが世の常です。
世界を創っているのは自分です。
信じたものに合わせて生きているだけです。
そして、お話が上手いものがファンタジーをノンフィクションに変えるのです。
まずは自分の幸福な結末までのお話創りをしましょう。
頭一つでできることです。
そうしたら次は行動をそこに合わせましょう。
すると、ファンタジーがノンフィクションになります。
自分で創ったファンタジー通りに生きない人は、そのファンタジーは『綺麗事』と名を変え、詐欺師とか嘘つきと言われることになります。
キラキラした瞳でいるために、美しいものを見続けましょう。
よく聞こえる耳であるために、美しい声を聴きましょう。
身体が光り輝くために、美しい魂と寄り添い合いましょう。
今日も皆さんありがとう
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