個人差と教育

顔が違うように、遺伝子が異なるように、腸内細菌嚢も多分ひとそれぞれで、脳の思考回路もきっと誰とも一致しないでしょう。

それによって、毎日何を選ぶかも異なり、人生が大きく開いていくのかもしれません。

食生活も同じです。

今年に入って、やたらとレモンが食べたくて。毎日何かしらレモンを使って料理していました。

おまけに昨年から炭酸が飲みたくて仕方なく、どこに行っても炭酸飲料ばかり買って飲んでいます。

今日、ある記事を読んでいて、レモンと炭酸の話が出ていました。

「なるほど、やっぱりそうだったのか。」

 

私の場合、何も考えずにフローで選択するのが最も良い結果を産みます。

ずっと後になって、その頃なぜ毎日インドカレーを食べたのかとか、柿ばかり欲しくなるのかなどの理由が腑に落ちることが多いのです。

常に電子顕微鏡で自分の細胞や血液を視ているわけではないので、何が起こっているのかはわからないけど、フロー状態で生きていると必要なものを自然に手に取るようなことが起きたりします。

家を買う事さえそうでした(笑)

 

ルビーは先日生まれたばかりで、知人から預かった仔なのですが、教えなくても水の飲み方を初日から知っていましたし、餌も大人と同じように栄養価の高いものから選んで食べています。

それに独りでは怖くて眠れないので(野生化では他の動物に喰われるからだろう)うるさく鳴いて私を呼び、抱っこしてもらえたなら静かに目を閉じて眠るのです。

 

人間もそれと同じ。

違っているのは紙で買うという行為で食べ物を得るところや、一定の数値やイメージで決めつけたりしてしまうところ。

なので、感覚器が退化していくのかもしれません。

自分の血肉にするものを、歩き回って

「あ、見つけた」

という具合に選択すれば、間違わなくなったりするのではないでしょうか。

人間以外の全生物は『勉強』しなくても必要なことを知っていますよね。

 

その為には、魂のある料理(機械が作ったり、人工的に作られた本物とはかけ離れている異様な食品群ではないもの)や怠惰になって感覚器が鈍るような機械を避けて生活することは、脳のR領域に多大なる貢献をしてくれそうにも思います。

事実、滞在した途上国の自給自足の村の人々は、日本の昔を想起させるような記憶力の高さでした。

小学生の頃を思い出すと、子供たちの記憶力はもっと高かったように思うのですが、これは勘違いでしょうか?

大人もしかり。

 

本当かどうか知りませんが、使わない思考回路は退化するといいます。

なので、息子たちには

「勉強ばかりするな、遊びに時間を使え」

とずっと言い続けました。

全体的に心身を活性化させることが重要だと感じていましたから。

 

学校で習ったことは授業中に記憶すれば済む話ですし、家に帰ってまで塾に行って勉強する必要などなしい、ましてや遊ぶ時間がないとか、塾に行くために食事も夜遅くなるなどもってのほか。

基本的生活習慣と食事バランスをきちんとしていて現れる結果が実力だと考えるので、私は我が子を他者と競わせる事には興味がありませんでした。

一緒に住んでいなかったので、基本的な習い事には行かされたみたいだけれど

「やめれば?」

と何度言った事か(笑)

だけどバランスについてはわかってくれていて、遊びをきちんと優先していましたね(笑)

 

多分退化させなければ皆賢いのです。

ニンゲンとはそういう生き物だと思います。

個人差を産むのは常に僅かな選択の差異。

 

本来生きるも死ぬも自己責任。

動物は自分のためにしか生きません。

動物でも助け合うことはあるので、ニンゲンの群れ単位の行動も理解できますが、誰かが何かやってくれるなんていうのは、とても幸運な奇跡みたいなもの。

 

人間関係も同じ。

基本的には脚にぶら下がる錘になるのではなく、自分で立っている人同士が並んで歩んでいくことを『相互扶助』といいます。

 

何をするかよりも誰と生きるかはとても大事で、それもフロー状態で私情を挟まずにいるのがいいかのかも。

 

必要なら此処に在って必要なければ淘汰されるので、好きも嫌いもホントはどうでも良いのでしょう。

 

天命に任せていれば正しい自分の寿命で死ぬでしょう。

 

今日も皆さんありがとう

 

 

 

 

 

 

Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です