助けたい

誰かに助けてもらってばかりいる人は、各人にある地球が与えた感覚、つまり無意識の直感で「助からない」と思われている人々です。

 

なので、誰も助けてはくれない人の方が、各人の直感で「放っておいても助かる」人なのです。

 

ただし、利己的で周囲を不幸にしかしない嘘つきなどは、嫌われている、つまり群れで生きる生物にそぐわないと判断されているので、誰も助けないということがあります。

 

誰にも助けてもらえない人は、自分の周囲に大勢の人がいるにもかかわらず助けてもらえないのか、嫌われていて助けてもらえないのかの判断を自己過大評価なしでする必要があります。

 

また「誰かに助けてもらえる」と、傲慢にも他者の命の時間を搾取する輩は、潜在的に自分が生命力が弱い=助からないことを知っていて、恐怖や不安に苛まれた人生を送ることが往々にしてあります。

 

私の愛すべき人がかつて言いました。

経営者や政治家として金を持つことが成功者ではなく、彼らがもし80で死ぬなら、80まで生きた浮浪者も同じく成功者だと。

つまり生物としてそこまで生き延びたということが成功と定義するならやはり浮浪者も成功者なのだということです。

 

至極納得しました。

 

動物は自分のためにしか生きません。

「人のため」という言葉は何かを隠すための嘘です。

 

ですから私たちは誰も助けることができません。

自分のことでさえも潜在的に皆わかっています。

恐怖や不安を持つ人は、先にその恐怖が訪れるから持つのです。

 

たとえば配偶者が浮気をするかもしれない、自分と別れたいというかもしれないという不安を持っている人は、相手の言動ではなく、潜在意識を無意識下で感じ取っています。

自分が愛されていないことを潜在的に知っているのです。

ですから周囲に愛されているふりをしても無意味で、結局その嘘も毒となって自分の体内に積み重なっていくだけなのです。

 

愛されない人の相談に乗ったとしても、本人の問題なので誰もどうすることもできません。

どうにかなるようなことを吹聴して詐欺ビジネスにする人もいますが、どんなこともそうですが、根源が変わらない限り問題は解決しません。

 

例えば自分を信じない人を信じるバカはこの世には存在しません。

信じるとうことは嘘をつかないということであり、自分で自分に嘘をついていないからこそ自分を信じることもできるのです。

また、信じることは愛することであり、愛している人を疑う人はおりません。

つまり自分を信じること=愛することでもあり、他者に信頼される人は他者に愛される人ということになります。

愛される人は愛されるものを持っているので、本人が作っているわけでも嘘をついているわけでもないのです。

 

愛されたいと常に思っている人は、潜在的に自分が愛されないとわかっている人です。

愛される人は愛されたいとは思わないし、頭の良い人は賢くなりたいとも思いません。

愛することも感謝することも自然発生的に起こるもので、努力など全く必要ないものです。

 

愛しているがゆえに助かってほしいという願いが自分にあったとしても、相手を助けたいと思った時点で相手が助からないと思っているということです。

意識は自分の一挙手一投足を操り、思考を現実化させます。

ですが願望は変えることができても脳が瞬時にただき出した直感は変えることができないものです。

自分にできることは、今、愛することや後悔を残さない行いをすることくらいです。

 

母が死んだ後に、私には一切の後悔がありませんでした。

他者の人生はコントロールしたくありません。

誰も誰かの人生を強制する権利はないのです。

苦しんでも本人が選んだこと。

相手の人生を尊重するしかありません。

 

割り切りというのは、冷酷になれということではなく、そういった俯瞰的視点をもってして死生観を確立していくということです。

たとえ涙を流しても、血族であっても、支配する意識は決して光を生みません。

 

愛する人が死んだらとても悲しいけれど、自分とは別の意識体ゆえに仕方ありません。

だからこそ、今に歓喜し、感謝して、ありがとうを伝えましょう。

 

今日も皆さんありがとう

 

 

 

 

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