畑でお花を切ってきました。
あの後、紫燕飛舞が一輪咲いていました。
とても香りのいいバラで、ピティさんの送り花に。
みんな、覗き込んでピティが逝ってしまったことをわかっている様子でした。
ココから始まりコロンまでのハムスターズの時も、皆は仲間が逝ったことを知っていて、モチはグレイタンがいなくなった後三日間何も食べず巣の中に閉じこもり、一か月後に後を追うように逝きました。
多頭飼いでしかわからないことがあります。
山から下りてきた野良ネコのRUIさんも数日の付き合いでしたが、うちの裏口においた箱の中で毎晩眠っていました。
湯たんぽも入れていたのに、虫の息でみつけた朝、結果的にRUIさんも私の腕の中で逝きました。
猫が死期に居なくなるって嘘でしょう。あの子は間違いなく死に場所を探してうちに来ました。
多分、単独行動する動物も皆、最期は独りでいたくないのです。
超絶自立度が高かった最長齢のコロンも最期の二週間は私から離れず、昼間もポケットに入って抱っこ、夜はベッドの中で私の掌のドームの中。
踏んづけてはいけないのでケージに返すも、騒いで出すまできかなくて。
ほぼ徹夜でコロンと寝ていたのを思い出します。
ピティさんは脚が悪く素早く動けないので、小さい頃皆で餌を食べる時も眠るときも踏んづけられないようにいつも端で立ってじっと待っていました。
皆が寝てから間に入って眠っていました。私は毎晩ピティが眠るまで見ていて、背中を撫でながら「大丈夫よ。大丈夫よ」って仲間に入れるように気を付けていました。
今日も「ピティさん」と呼びかけると、何度も応えてました。仲間の彼らも、もちろん自分の名前を呼ばれると返事をします。
介護業界で長い人は、生き様と逝き様が比例しているとよく言います。
生命のそういった運命みたいなものは、種を超えて同じなのかもしれないですね。
たとえパチンと叩かれて一瞬でつぶれる蚊でも、ゴキブリでも、多分懸命に生きて消えて逝くのでしょう。
人間にとっては危険な生物もいて、単に動物愛護と宣うことはできませんが、人間の作る言い訳と正当化のお話を信じることなく、万物に想いを馳せて懺悔と感謝を忘れないようにしたいものです。
昨日は、二人とも泣きまくりでした。
世話がとても大変だったうえに、もっともお茶目でかわいい雄だったピティさん。同居人には思い切り噛みついていたけど、やっぱり「可愛い奴」だったみたい。
二人でピティの小さい頃の動画を探して観たりして。
同居人は帰宅が遅く対面も夜となったので、落ち着くのに朝までかかったようです。
今朝は和朝食。
自家製佃煮、自家製梅干し、自家製柴漬け、自家製キムチ、参鶏湯風スープに自家製中華麹、そして無農薬米の土鍋ごはんと、ほぼご飯と漬物の質素な内容です。これが本当の「ご飯と漬物だけでいける」ですね。
今や農薬だらけの米と、なんちゃって漬物やなんちゃって梅干し、なんちゃって納豆を食べる日本人。虐待された家畜の肉。本物は土から自分で作るしかありませんが、水がもう人間に汚染されている可能性も。
私の外仕事など、システムに合わせたGAMEの暇つぶし。自給自足をやってない民の仕事は皆暇つぶし。
誰かに圧しつけて暇だからこそできる紙集め数字遊び。エスタママにそんな時間はありませんでした。
このところ先日逝ってしまわれたジェーン・グドールの「森の旅人」を再読していました。
「進化に失敗したサピエンス」というくだりがあり、もっともすぎて吹き出す場面も多々。
ゴンべの森、行ってみたいですね。
こんな日は、ジェーン・グドール氏の「森の旅人」だけでなく、星野道夫さんの写真集、岩合光昭さんのセレンゲティの「おきて」や実話の「ぼくはマサイ」などの本に囲まれたくなりますね。
ジェーン・グドール氏もゴンべの森のチンパンジーに自分が受け容れられた瞬間を忘れることはなかったそうですが、他種の魂との意思疎通や愛の循環は、本当に地球の素晴らしさや人間の馬鹿さ加減を深く認識させられます。
ニンゲン社会という枠組みの中で生きている人には気づけないことがありますね。
バラとの出会い、コニーサンとの出会いが最も素晴らしい人生の出会いでした。
多分、植物、動物に対して真摯に向き合えば、自ずと土や水のことまでわかってきて、いったいサピエンスが何を何のためにやっているのか、誰かに教えられなくても誰でも気づくことがあるのだと思います。
スープ一滴も無駄にしないような自己完結できる今日を送りたいと思います。
万物に懺悔
地球に愛を
0 comments