やまびこ

山の頂などで「ヤッホー」と言えば

「ヤッホー」と遅れて返ってきます。

あれと同じです。

他者に自由を与える人は、生きることの主軸が自由なので、本人も自由な価値観を持ちます。

 

いつも自分より劣性な対象を探して優位に立とうとする人は、まず自分自身を劣性だと定義しています。

劣性と見た対象をぞんざいに扱う人は、自分がぞんざいに扱われます。

動物を『家畜』と呼ぶ人は、自分も何かの家畜であり、金という餌をもらってどこかに閉じ込められています。

真に自分を助け支えてくれる存在よりも、飼い主の為に命の時間を使い雁字搦めになっています。

ですが飼い主は家畜が死んだらまた別の家畜を飼います。

家畜の名前や気持ちなどどうでもよいでしょう。

 

優劣を決めず、命を対等だとみなしている人は、自分より劣性を探す必要がありません。

動物を家畜とは呼びません。

彼らを閉じ込める理由があるとするなら、彼らの命を奪う者から守るためだけとなるでしょう。

 

自分の気に入らない事象が表れた時に

「貴方は誰かに騙されている」

「私は騙された」

などと我が子や友人に言う人は、自分が誰かを騙して生きている人です。

人が人を騙すということがその人の主軸に在るからです。

つまりその人そのものが嘘つきだということです。

そうでない人は

「冷静に考えなさい。あなたが馬鹿ですよ」

となるのです。

同じ事象でも相手が自分を騙すのではなく、自分が浅薄だったという自己責任の価値観です。

同じ失敗を繰り返さないようにすればよいし、努力すれば解決することです。

 

他を愛することができる人は、多くのものから愛されます。

万物と生きていれば孤独には為り得ません。

 

運が良いなんて現象はありません。

自分が持っている価値観が言葉に表れ、対象からも同じような『返礼』がもたらされるだけのことです。

 

起こることは必然で、目の前に表れる事象は、自分が放った山びこみたいなものです。

まずは、自分がどんな声を放ってきたかを検証してみてください。

 

 

 

万物に愛を

今日も皆さんありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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