生き物と出会う時、自分と合うかどうかは初対面でわかる。
いわゆる直感というものだ。
安易にこの言葉を使う人間が多いけれど、願望と一緒くたにしてはいけない。
願望は、自分にメリットのある事柄で、道筋を説明できる楽観的未来予測である。
それに対し、直感はメリットであろうがデメリットであろうが、自分の脳が瞬時にたたき出す説明できない未来予測だ。
例えるなら地震の前に一斉に飛び立つ鳥たちや、火事になる前に逃げだして終わってるネズミたちの様な。
半世紀も生きていると、人生で感じた直感が正しかったのかどうかの検証は数えきれないくらい済んでいる。
それでも自分のその答えをどうしても払拭したい場合もある。
だけど、哀しいかな、地球が備えてくれた生物的直感を私は信じることにしている。
とてもつらい予測でも。
これはスピリチュアルでも何でもない。
ネズミが逃げ出すのにスピは関係ないように。
ただ、自分で考え自分で創り、自分で生きない現代の依存的ライフスタイルは、多分そのシックスセンスを退化させる。
出会いでもそう。
初対面の日、目が合ったその瞬間を忘れない相手は確かにいる。
動物ではシェリーのみ。
だから『シェリー』なんだけども。
その時々で必要な人は現れ、一時期濃密に関わったりする。
仕事で組む相手だったり、結果的にクリエイティブな活動をするためだったり、自分にはまだ不足していた何かの検証的な事象だったり、つまり気づき学びのためという事である。
永遠ではないかもしれない。
動物は自分のためにしか生きない
必要だったらそこに在って必要なければ淘汰される
互いに関わる必要がなくなれば、いつの間にか消えている。
婚姻届けや離婚届みたいに合意してきっちり証人を用意しなくてはならない契約もあるが、知人や仕事相手などは大抵自然淘汰。
消える人に関しては、あまり執着しないようにしている。
自分の価値観や意識が更新されていくと、昨日の価値観が今日は合わなくなっていたりする。
合う合わないは過ごした時間とは比例していなくて、今日出会った人の方が10年傍らにいたニンゲンより分かり合えることもある。
本当に『何か』が合う人とはたとえ10年会わなくても愛し合える。
SEXするか否かはその愛とは全くもって関係ない。
幼少期から本物にしか興味がなかった。
だから虚構を創る人が、理解できなかった。
聴く時間が無駄だ。
優しさや愛は、相手の命を尊重すること。
好き嫌いは相手の自由。
真っすぐに伝え、相手が好きにジャッジできるようにすればいい。
嫌いなら関わらなければよいし、好きなら好きと伝えればいい。
自分がこの世界全員から愛されるわけはないし、好かれるはずもない。
10代の時にはその時の自分に合う人たちに囲まれていて、
20代には20代の相手がいる。
そして30には30の、40には40の・・・・・・
そうやって進化し続ける人は必然的に周囲の環境や人間が目まぐるしく変化する。
そう、10代のころ結婚相手に言った。
20代のころ結婚相手に言った。
40代でも言った。
どうも本当だったみたいだ。
それも直感?!(笑)
変化はしても、孤独にはなりようがない。
ニンゲンはたくさん存在する。
植物も動物も共に生きている。
また変化の時が訪れている。
少し哀しく、少し愉しい。
今日も皆さんありがとう。
0 comments