灯台下暗し
なんてところに家を買ったんだろう??と自分で自分の選択に驚きます。
そういう場面が人生の中で何度もありました。
これ、いい意味で……です。
どれだけ奇跡に向かって準備していても、やっぱりそれが起こりつつある流れになった時や、実際にイメージ通り現実化した時に一番驚いているのは実は私自身なのです。そこまでの道程に現れる人、タイミング、環境的な背景など、点と点が線に繋がり、そこに関与したすべての存在に感謝が溢れだします。更に俯瞰的に視るなら、地球の流れに沿って進んでいるのだという安堵にも繋がったりもするのです。
地球は受精卵 MAHIRO思考より
受精卵から上肺葉、中胚葉と分化するように、私たちもオオカミや象、鳥や魚、ヒトなどにわかれて、その一つ一つの存在が地球の細胞のように役割を担っていると考えてみるのです。皮膚細胞や胃粘膜のように死ぬ時期、入れ替わる時期、癌細胞に変化したなら淘汰される時期も決まっているでしょう。
とすると、個々に使命や役割があり、これに逆らえば不具合が起きるのかもしれません。皮膚細胞が心筋細胞になりたがったりはしないと思うので。
だから隣の芝生を憧れるのは自己否定かつ先祖への冒涜であり、先に逝った祖先も応援しようがないのかもしれません。誰かの作ったお話上の価値の数値ではなく『生まれ持った自分の価値』を先住民のように真っすぐに視ることが大切でしょう。
才能は実際数値で測れるものではありません。
私にはベルトコンベヤーで組み立てなどを何年もするような忍耐力はありません。だからそれは才能です。でも創造と閃きに時間を費やすのは数十年でも続けられます。誰かがそれらに優劣をつけ、数値で測る世界になりました。でも私は近所の子と遊ぶ都会の真ん中で、雀を見ながら思っていました。
「大人たちは雀やゴキブリにわかっていることがわからないのか?」
地球には生きていけるだけのものがあるとか誰のものでもないとわかっていると思いませんか。
人間は○○しなければならないと思い込んでいます。
だとしたらニンゲンは本当に賢い生物なのでしょうか。
残念ながら自分もしかり。
ゴキブリや雀のように生きようとしてもなかなかそうはいきません。
そろそろ地球も自分を破壊する癌を自然治癒させるときが来ているのかもしれません。
その流れで自分たちも一気に解毒し正常細胞に戻りたいものです。
これは私のファンタジー(笑)
今日も皆さんありがとう
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