富とは裸になっても持てるもの

富について、今一度考え直すことが必要な世界になったかもしれない。

この世に善悪など存在しない。

あるのは本人が幸福なのか不幸なのか、これだけだ。

ある脳科学者は言う。

お金を得たら幸せ。〇〇を手に入れれば幸せ。

この幻想に惑わされそれを追い求めてもある程度の生活必需品を手に入れ、それをこえた先はさほど変わらないどころか、かえって不幸になるそうだ。夢は追うから楽しい。だから壮大な夢を描こうとも。

なるほど、子供の頃に見た大人たちとそっくりだ。

一度手に入れると、失うのが怖くなるのかもしれない。今度は失わないように死ぬまでそれに執着する人生が待っている。それを利用したビジネスと銘打つ詐欺が渦巻き、さらにその恐怖に苛まれる集団が巨大化する。

地位や名誉だけでなく、不倫や結婚などで相手を『手に入れた』人が陥るアレもよく似ている。

いつでも何処でも何も持たなくても自己を確立できる精神と身体と知恵が何よりの富だ。

最悪の場合、自ら死を選択することも幸福の一つであるかもしれない。

潜在的な自己を顕にすれば何かを失うかもしれないと思う時、人は自分を正当化する論理を組み立て、嘘をつく。幸福の基準を自分以外のものに依存するとそうなる。

もしも自分が悲しんだとしても、相手が徹底的な幸福を追求してとった選択なら、その悲しみは本当の意味で癒やされる。幸福である人を支配したり不幸に陥れようとする人はいない、悪魔以外は。

潜在的な願望は動物もニンゲンもさほど変わらないように思う。食べるものがあれば満足、平和的な群れや環境が何より。生きることに、哀しみや傷みはつきものだけど、それを忘れ前に向かう強さが皆備わっている。

明日生きているかどうかわからないから、今日をめいいっぱい生きる。

出来る限り前提条件を棄て、シンプルに立ち返り、目を塞いでいた両手を離す。

そうすれば、自由になんでも掴むことができる。

 

もしも世界に幸福をもたらす妖精と出逢ったなら、迷わず手を取り合って共に楽園を創ろう。

太陽の光をあびたフルーツの恩恵を受けよう。

囀る鳥と出会ったなら恵みを分かち合おう。

愛する人と出逢ったなら、心の底から愛し合おう。

 

 

今日もみなさんありがとう

 

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