選択と逝き方

耳が痛い話なのかもしれません。

ですが、現実主義者の私には何度考えなおしても同じように思えることがあります。

 

息子が赤ちゃんの頃、商店街の果物屋さんで、毎回台湾バナナ、夏はメロンを一玉買って、私の朝ごはんはメロン半分でした。

当時、若干二十歳の私に果物屋さんがぺこぺこするのでなんでかなあって不思議に思ってたんですが、今考えると上顧客だったんですね。

旦那がかわるたびに収入が減り続け、一番贅沢してたのは教室やってた時と管理職やってた20代の頃。

結局自分でやるのが早い(笑)

いまやその何分の一?

メロン毎日買うなんてできません。(笑)

でも子供の頃の昭和の物価に比べたらこれでもかなり安いのです。代わりに不必要な毎月の支払いが増えているだけで、環境を変えて洗脳を解けばミニマムでクオリティの高い生活は可能でしょう。

電化製品も三種の神器(うちにはテレビは無いかわりにPC)程度置いておけば、あとは身体を動かせばいいだけの話だし、スマホも要らないし、都会で畑が無くてもベランダで相当栽培できるし、市民農園を借りる手もあるでしょうし。

というか空き家が山ほどあるのだから田舎移住すればいいのではないかと。

仕事は自分で創るか、人手が足りない田舎の事業者に雇用されるとか、介護業界は引手数多だし知恵をしぼればなんとかなりそう。

何が起こってもおかしくないって話してたらやっぱり(笑)

 

だって創る者は壊し方も知っているわけで。

パッチワークのバッグのデザインが出来るから、修理や作り直しもできるわけで、それがクリエイターの醍醐味でもあるのですよ。

なんでも買って済ませる人や『便利』なものに頼る人はもしかしたらそういう基本的なことをわからずに妄信しちゃってるのかなって。

それに世界には自分には想像もできないような天才が各分野にいて、彼らは皆クリエイターなわけで。

その『想像できない』ってことを想像することが、物事を決めつけたり圧しつけたりしない第一歩になるようにも思います。

 

単なる地球の生物の一種のニンゲンごときに真実などわかるはずもなく。

全てが嘘って可能性もあるし、全てが本当って可能性もあるので、結局、自分(皮膚常在菌や腸内細菌も含めて自分なのか、何処までが自分か知らないけど)が何を選択しどう動くか、その結果どんな死を迎えるかは必然です。

毎日ずっと何かを選択し続けてるでしょう?

誰かの言いなりになることさえ。だから

 

起こることは必然

 

レベルの程度はあるけど、誰しもまだ見ぬ明日の話を創造するクリエイター。

実際にそうするかどうかは個人差があるけど、やってしまえばノンフィクション。

せっかく創ったお話はやっぱり現実化するのが面白いでしょう。

だって生きてるのだからやりたいことは何でもやってみたほうがいいですしね(笑)

息子がある日突然下半身不随になったり、娘の親友が中三である日転落して事故死したりすると、『無理』だという言葉を使う人に、ついつい冷ややかな視線を送ってしまいます。

まあ、面白くなさげでもその人がどう生きようと関係ないのですがね。

 

ニンゲンだけのお話は他者に圧しつけないようにしなくてはなりません。

雀やゴキブリなど他生物全てにはまったく通じない事を。

 

さてはて?

 

今日も皆さんありがとう

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