縁と必然

数か月ぶりの東京でした。

関東に行くたびに、どなたかが迎えに来てくれたり、名所案内をしてくれたり、豪華なお食事を用意してくれたりと、なんだか東京は、私にとっての天国の様であります(笑)

 

国産うな重から始まり、鮟鱇、雲丹、河豚、鰊蕎麦まで豪華フルコース皆さん本当に有難うございました。

都心の中に在ってあれだけの樹々が美しく佇む椿山荘の庭園は、残念ながら日暮れ後の散策となってしまいましたが、霧とライトアップの演出で幻想的であり、かつ個室で静寂な庭園を眺めながらのお食事は最高のひと時でもありました。

私の帰りを待って、食事を作って招待して下さった方もおり、生みたて卵までいただき、有難いの一言に尽きます。

縁とは不思議なもので、善いも悪いもなく、ただただ自分にとっての必然としか思えません。

時間がかかりすぎて棄てたくなる縁もありますが、

「このための出会いだったんだ」

とある日、明確に証のようなものが表れることもあります。

過去すべてを記憶することは不可能かもしれませんが、深い縁のある方は大抵『初対面』時をはっきりと覚えているはず。

また、風のように通り過ぎる縁でも、その刹那的な関係さえ現在の自分を造る一部となっており、ゆえに感謝なのであります。

感謝できるということは今の自分に納得(満足ではないけれど)出来ているということで、それが道の途上であったとしても方向が間違っていない証です。

もし納得できないと思うようであれば生き方の方向が大きく間違っている(自分の道の上での間違い)という事なので、早急に修正したほうが良いかと思われます。

時間がもっとも大事であると食事の席でも話題にのぼりました。

時間は相手の命であり、また自分の命の時間でもあります。ひいては『喰って殺した』生物たちの命でもあります。

それをいったい何に使っているのかで、その生き物を判断することができ、それによって畏敬の念と同時にその逆の感情を覚えることも多くあります。

ですが、地球が生かして在るものを私ごときがジャッジできるわけもなく、出来る限り関与しないように遠ざかることで、個人の世界を整えていくようにしています。

時間はあまり多くはありません。

小学生時に決めた『今日死んでもいいように生きる』というスタンスは幸福の源でした。

実際の地球世界でなく、人間のみに限った世界では歓喜も幸福も真に感じることはできないような気がします。

だからこそ意識や魂は全生命体の一部と自覚して、今しばらくは此処に生きたいと思います。

今日も皆さんありがとう

 

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