成長と競争

巷のビジネスを見ていると、営業は常に前年比、同業他社の売上、利益率などの数字を追いかけ続けているし、追いかけさせられている。

 

昨今、ではなく1990年代ではすでに『省エネ』が叫ばれていたことを記憶しているが、ほとんど無視され、事実昨今、仕切り直しに躍起になっているかのよう。

でもビジネスでは相も変わらず『成長』や『競争』と宣い続ける。

おしりをたたかれた営業や店はその競争に勝とうと必死だ。

ギャンブルさながら一度手にした栄光に執着すると、時代の変遷に合わせてしなやかに変化することや、リセットして切り替えることから遠ざかる。

かつての若者が高齢になり、現代の若者がまた繰り返す。

俯瞰的に視ると地球にとって決して持続可能ではない手法でも、金のためという大義名分がまかり通る。

そのために今後多くの負担を強いられる持続可能な生活を続ける民などは、バカらしくて聴いていられないだろう。

それでも文句も言わずに負担を引き受ける優しい人々だ。

 

徐々にリセットもいいのだけど、今日この瞬間リセットするのも面白い。

何もお金にならない自給自足の民である、アフリカのあの家族などは立場が一転、喰うために困らない豊かな民になる。

ビルの中でシステムに守られてしか生きていけない人々は、喰うこともできない難民になるだろう。

ブランド物の鞄も、金のブレスも役に立たない。

 

動物は自分のためにしか生きない

 

共に暮らす彼らにいやというほど教えてもらったこと。

最期の瞬間まで彼らは自分の事は自分でする。

依存は視えない。

尊敬すべき生物たち。

 

子どもの頃、都会の雀やゴキブリを見て思った。

雀は地球が誰のものでもないと知っている。

だから仕事などしない。

喰うものが無くなれば死ぬ。

それだけだ。

ゴキブリは薬剤に耐性を付けて進化しているように視えた。

生命の神秘は人間ごときにわからない。

 

だけどなぜ、人間だけが金のために必死で働き、争い、奪い合うのだろう?

学校で習ったように本当に賢い生物なのか?

もしかしたら最もバカな生物じゃないのか?

 

半世紀近く経った今もその考えは変わらない。

 

賢いなら、平和的な解決方法に全力で頭を使うべき。

賢いなら、恐怖を知識で駆逐するべき。

賢いなら生物は皆死ぬと認めるべき。

 

余りに残念過ぎると思うのは果たして私だけだろうか。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

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