山暮らし

昨日、近所の人が原木椎茸を持ってきてくれました。

自分でクヌギを切ってシイタケ栽培をしていると言って、その様子を見せてくれたことがあります。
雨の中、とれたての椎茸を持ってきてくれたので、すぐにバター醤油で焼いたらものすごく美味でした。

山の恵み。

神の恵み。

地球の恵み。

山に越して、今度は山の恵みを頂けるようになりました。

丹精込めて届けてくれる人にはもちろん感謝しかないのですが、樹々の息吹など、静寂の中の命との対話に、この世に自分のモノなんて何もないのだなあと感じる毎日です。

 

都会の真ん中でも雀やゴキブリはいました。

彼らから学ぶことや、家の前のアスファルトの道を見て考えることは生まれた頃からありました。

地球が与えてくれた感覚=本能を棄ててしまったニンゲンは一体何になるのでしょう?

支配と依存と恐怖は仲間で、仲間同士は引き寄せ合います。

哀しいかなそれが幸福そうなので遠目に視るしかありません。

世界と繋がるネットのおかげで、出会いに感激することがあります。

相手が既にこの世にいない場合もあり、決して会うこともないだろうと思える存在もあり、それでも学び気づきとなって言葉が天から自分に下りてきます。

本もそうで、興味がある無しに関わらず、ある日突然目に入るのです。

書店でうろうろ歩いていてふとそこに目が行く、みたいな感じで。

それらは大抵数がない本で(つまり平積み系ではない)

「買ってよかった!!素晴らしい!!」

と一人で感激しています(笑)

ネット上でも、本を探しているわけではなく、何かのコメントやレビューから飛んで本に辿り着いたりします。

すると、自分がこうではないか?とずっと考えていたことの答えを、訊いたこともない研究者が書いてくれていたりして、自分の道を一歩前に進めることが出来るのです。

昨夜も遅くまでそういうものを読んでいました。

全く理解できない人もいるだろう古典的なものですが、若い頃から自分に潜在的に在るものが著されているような気がしてなりません。

けれどとても難解で、多分実際にそれを遂行しながらでないと理解できないもの。

且つ、失敗を繰り返しながら修正しなくてはいけないようなもの。

現代人の価値観では多分何のメリットも感じられないかもしれないもの。

だけど『真実の追求』を幼少からの人生の目的とした自分にとってはとても価値があるもの。

こういうの、引き寄せっていうのですよね。

見つけてしまった以上、大変でも考えなきゃ仕方ないって感じです(笑)

今日も皆さんありがとう

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