都会人のための田舎暮らし

庭の紅葉が美しい。

朝ごはんは昨日買ってきた果物が並ぶ。

久しぶりに明日香の畑に行ってきた。

娘はロッピーの餌を集め、私と同居人は菊芋を掘り上げてきた。

畑の隣人としばらくぶりに会い、大根や人参、リンジー達の餌までいただく。

菊芋が不作だったらしいので代わりにうちの菊芋を半分。

ずっと変わらぬこの方との付き合いももう5年。

こちらに越してきて、時に一般的なアレと勘違いされることもある。

都会で問題を起こしたり、何か逃げたいことがあって居場所探しにやってくる移住者のことだ。

明日香村に移住したのもここに家を買ったのも、すべて私個人の価値観からくるもので、同居人と娘はただついてきただけ。

ついて来いとは全く言ってない。本人たちの意思だ。

大阪人はボケとツッコミが必須で(笑)、例えアフリカに行っても私は大阪人のままでいたい。

大阪は大好きだけど繁華街では限界があった。

ベランダガーデンではできることは僅かだ。

システムに荷担し続ける生活もできるだけ減らしたいと思った。

もちろん都会の知人には理解されない(笑)

コロナがなければ途上国に土地を買ったかもしれない。


だけど日本も既に途上国と同じだし、よくわからないけど、やたらと大阪を出たい空気が自分を包み込んでいたし、自給自足をすべき途上国に行く前に日本でできることがあるのではないかと、高校時代から住んでみたかった明日香に、そして賃貸ではできないことがあるので畑付きの家を探したという経緯。

田舎移住してお付き合いしたいのは、地の人々。

話していて気分が良いのは、土地に残っている方はみな、村や町に愛があること。

地域のことを考えて、どこの馬の骨ともわからない移住者を受け入れようと努力してくれている。

だから都会からの逃げで田舎移住するのはお勧めしない。

愛には愛で応えなくてはいけないから。

人々のそういう愛の流れを理解せず利用する人も多いと聞く。

人々のショックは想像に難くない。

政治に関われと言われたこともあるが、エネルギーはとても大事で、土地に愛がある人が立つのが最も適していると私は考える。

土地を残し続けてきてくれた先人や地の人々に感謝はできるが、古代から続く土地への思い出や愛着は大阪人の私には持てない。

自分の出る幕ではない。

 

だから日本でもアフリカに行っても同じで、敬意を表すべきはその土地に愛を持つ先人だ。そしてそこに生きる万物にも。

その場その場で、もめ事はあるだろうけど、肩書やIQよりも個々の愛の量で測れば、仕事はいつも間違いない。

愛の量に比例し強大なエネルギーが放出される。

綺麗事や偽善では決して敵わない。

寒さが苦手な自分がこんなに寒いところに来てしまったけど、どこに行っても愛のある人との出会いには本当に感謝している。

境界線はニンゲンが作った線で実際はアフリカも南極も繋がっている。

そこに境界を実際にひいてしまうのは個人の心。

誰とでもどこででも生きている限り愛の奇跡は起こる。

地球と融合し循環の一部になれば何も怖いことなどない。

また人生においては、自分が積みあげたことが「ある点」を境に折り返し地点になっていることに気づくだろう。

生き物の周波数はうまくできているようだし、人間ごときに理解できることは生涯無いと思う。

「わからないことはわからなくてよい」という謙虚さと潔さを動物のように持ちたいものだ。

まだまだ馬鹿な自分。脚をとめてはいられない。

今日も皆さんありがとう。

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