お弁当と肉食

最近はずっと、娘がお弁当を作っている。

体調を崩して雇用されているのをやめ、3年が過ぎた娘。

離乳食は、手ごね地粉パン、コンソメも手作り、おやつは毎日オリジナルレシピのケーキを焼いた。

赤ちゃん時代から好き嫌いが無いよう味蕾の発達を促した。

お弁当のおかずも冷凍加工食品はもう36年使ったことがない。

レンジも買わず、土鍋でご飯を炊き、自然食品の店で野菜を買った。

それでも友人と食べるインスタントラーメンやスーパーの総菜、質の悪いアイスクリームを選び続けたのは娘個人の価値観である。

結果、一晩寝るだけで風邪の熱も下がっていた健康体の娘は虚弱体質になった。

身体を壊して反省したのか、強制的に私が食べさせたのかは定かではないが、私はいつも通りの無添加の食事作りを続け、畑まで借りて無農薬無化学肥料自家製堆肥の野菜を栽培し、味噌や調味料、漬物までできることはするようになった。

娘はそれを覚えた。

 

娘は一般的な主婦よりはずっと料理は出来ると思う。

あと少し残るは、本人の波動のみ。

思考は何でもかんでも現実化するので、良くも悪くも好きでやっているはずだ。

誰でもそう。

 

私は15歳から朝食を摂らなくなり、母のお弁当を断り昼食を抜き、定期的に断食をし、晩には基本、野菜中心の食事のみという食生活を自分のバイト代で賄った。

教育費は親が出してくれたので、学業では文句のない結果を見せるのが自分の責任だとわかっていた。

そのおかげで家でも学校でも私は自由だった。

 

18で結婚したので、そこから先は完全に自分の選択で食事も身の回りのものも決めた。

3人の旦那には私を納得させる知識はなかったので、「金がもったいない」などという無意味なお話には付き合わなかった。

毒は100円でも高い。

安物買いの銭失いは馬鹿の極みだ。

 

高校から自分で食べた私は、両親が食べさせてくれた2枚ずつ食卓にのぼるステーキも、週に一度は行く焼肉屋も、数の子や伊勢エビなど注文する高級寿司店にも縁遠くなった。

代わりに、当時はまだメジャーでない高価なイタリアンレストランでコース料理を食べ、会員になったカフェバーに通ってエスカルゴや本物のチーズを食べ、道頓堀にしかなかったインド料理店でフルコースを注文するのが、時々自分に与える僅かな贅沢。

焼肉屋や寿司店に疲れてくるのは高齢者と決まっているが、私は15歳で疲れていた。

なので私にとっての御馳走は安全なバランス食。それと飲み物が大好き。

炭水化物をたくさんとるのは脳が粘る感覚があり、野菜や果物をたくさん摂りたい派。

米と動物食がなくても生きて逝けるが、同居する家族はそうじゃないので、妥協点を見つけ続けている。

 

肉食は、一説では共食いと言われ、でもやはり地域的に動物食しか栄養を摂れない民族もいて、個人的には決して間違いとは思っていない。

ただし、幼少期から命に関しては「浄化」「昇天」が最も大事だと考えてきた。

だから真の先祖供養は墓参りをすることよりも負の連鎖を断ち切ることであると思って生きてきたし、食べた命はその命が納得してくれるような生き方をすることだと思ってきた。

納得してくれない命は、念となって体の内部に波動的に影響する気がしていた。

電気ガス水道のない自給自足のアフリカの村などと関わってみると、命に真剣に向き合って「いただきます」を捉えている人がいる一方、ついついスーパーで「商品」として命を買ってしまっている自分もいて顧みること多数。

家畜や農業に関しての学校で会長をしていたこともあり、そこで見てきた動物たちの事情、アフリカやフィジーで見て聴いてきた家畜の事情との違い、日本は特に食べた人が懸命に生きなくては浄化は簡単ではない状況であると感じる。

なので「肉好き」と簡単に言う人に少しばかりの違和感が伴う。

シーザーの「お前に生きる価値はあるのか」という言葉は、私がずっと自分自身に問うてきた言葉でもある。

まだ胸を張ってYESと言える自信がない。

システムの洗脳からとっくに外れてはいるが、まだシステムに合わせる生き方をとっている。

けれど、万物のためには一生物の片手落ちなお話づくりには耳を貸さず、他生物と共に地球に融合したいという欲求が非常に強い。

動物たちに倣って自立した生き物になれるよう、まだ足掻いている自分に辟易する日々。

今日も命を昇天させたい。

 

万物に感謝

地球の自然治癒に協力します

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