もう都会には戻れない

下町から繁華街まで、都会の中心部に生まれ中心部に暮らしました。

22歳下の同居人でさえ、コンビニが出来たのは高校生くらいだというのに、私が小学生の頃には既にコンビニがあり(22時には閉店していましたが)暗い夜を知りません。

ネオン街にホッとした時期もあります。

隣は焼きたてパン屋さんで、遠方から沢山の人が買いに来ていました。

そのくらい珍しく、世間は皆『ヤマザキパン』や『フジパン』などしか知らない時代。

隣のパン屋のハンバーガーは一つ150円でした。

 

チェーン店はあまりなく、ステーキ専門店や握り寿司屋によく連れて行ってもらいました。

焼肉も本場韓国人がやっている店ばかり。

住んでいた町は、焼肉とお好み焼きの激戦区で、ものすごく美味しい有名店がたくさんあったのです。

高度経済成長時代は一人前の肉が今よりずっと高かったのを覚えています。

スーパー銭湯は当たり前、入浴は好きな銭湯を選べる毎日。

そんな子供時代でした。

 

三度の結婚はすべて都会。

一時期都市近郊に住んだこともありますが、日産180のMTターボを買って乗りました。

事故で大破させたので色違いで続いて同じ車種を買いましたが、あれが私の人生最大の贅沢です。

独身になり管理職をしていた頃は、週末ごとに旅行に行こうかと彼氏とプランを立てるくらい、時間にも経済的にも余裕がありました。

 

田舎に移住する前は、月一、二度は飲み会。

友人との待ち合わせは繁華街のカフェ。

ホテルモーニングに3500円も払うなど、今考えるとなんてもったいない(笑)

 

しかし、本心では途上国に永住すべく、そのために仕事をしていたようなもの。

机上の空論が好きじゃないので、ベランダで100種の植物を育て、アロマテラピーやハーブの勉強をしてライセンスを取得し、堆肥も自分で作りました。

マンション住まいでしたが、電子レンジも炊飯ジャーも使わず、蒸し器と鍋で炊飯。

便利で新しいものはなんだか気持ち悪いものが殆どで、使うほどに馬鹿になりそうで、子どもの頃から新しいものは吟味して選びました。

冷蔵庫は18歳の頃に買った単身用サイズ。

何度買い替えてもそのサイズ。

家族が増えても都会ではスーパーが冷蔵庫がわりなので、その日のモノはその日に買いに行く生活でした(徒歩1分でしたし)

やっと今、氷が勝手に出来る冷蔵庫になって驚いています。

いまだに仕組みをよく知りません(笑)

 

途上国についても、机上の空論ではなく、自ら短期滞在してローカルな生活をし、現地の人の家にも訪れて判断する旅。

ホテルには泊まりません。自炊もします。

フィジーで作った朝食

 

変なルールがなければ、そのままそこで一生いたかもしれないくらい好きな場所はあります。

デポジットがどうの、起業がどうの……

このシステムを信じ切っている世界では仕方のない事ですが、頭の中の『はじめニンゲンギャートルズ』が基本の私には、その人間の創ったお話が手かせ足かせであることは幼稚園児の頃から変わらず持ち続けている感覚です。

ですから今のシステムが崩壊し、お話は作り話だったと気づいて人間だけのルールがなくなったら、船か何かで古代のように渡ってみても良いかと思ったりもして。

雀やゴキブリなど他生物のように『仕事』などしなくても生きていける世界が現実にはあるので、人間だけのファンタジーの先から出て、現実の地球に還って死にたいと思っています。

 

移住した村での暮らしより、さらに奥に来た山での暮らしの方がもっと不便になりましたが、かつて惹かれた電気ガス水道のないアフリカの村や、集落ごとに助け合う南太平洋の島など、暮らしたかった場所よりはまだまだ便利です。

寒い場所が好きじゃないので、それがネックですが、今暫くは此処にいようと思っています。

庭の木を剪定して、薪ストーブに放り込めるくらいにカットして柴の整理。

平地よりずっと寒いので、種まきしたポットは、同居人が作ってくれていた温室もどきに。

エンジェルたちの散歩で畑に行ったときに、すべて出して水やりをしてお日様に当てて。

倉庫から出してきた小麦粉5キロを担いで、パンを焼くためにふるいにかけました。

味噌づくりのための麹づくりには、もう4日もかけています。(下手なだけですが)

リンジー達の餌も発酵食品を混ぜるので毎日攪拌。

断食を3日ほどしていましたが、今は回復食に移行し、リンジーたちの餌は自分の調理の野菜から分けて同時にみじん切り。

この5日間一度も外出をしていませんが、まだやることが終わりません。

リンやコロンのように全身ガンに冒されても、骨だけになっても最期まで動き続けるのが動物なのでしょう。

そう言う点では、自立した人間でないと暮らせない場所(途上国や孤立するような集落)は、めいいっぱい命を謳歌できる場所でもあり、地球と和解しないとやっていけない場所でもあり、また地球に負荷をかけない生き方が出来る場所でもあると思っています。

 

幼い頃、二階のベランダに座って家の前の道路を見ていました。

公園さえない地域で道は塗り固められています。

「地球は大丈夫なのだろうか……」

雀を見て

「ニンゲンは何故仕事をしないと生きていけないと思い込んだんだろう?」

○○が正しいという大人の話を聴いて

「でもそれってニンゲンだけが信じているニンゲンの作り話だよね」

……言えなかったです。大人にそんなこと。

だから両親は私がこのように考え続けていたことを全く知りません。

 

きっと地球に負荷をかける都会的な暮らしが潜在的に好きじゃなかったのでしょう。

アフリカの村でチャパティとチャイをご馳走になっている時、こう思いました。

「知人女性の中でこの暮らしを出来る人は一人もいないだろう」

って。

現に都会で繋がっていた都会的な仕事仲間や友人はアナログな生活をし始めて疎遠になりました。

現代はSNSから消えたりスマホを解約した途端行方不明のような状況になりますからね(笑)

代わりに、自分でなんでもするような自立した友人や、現役の高齢者の方々と仲良くなりました。

 

豊かです。

とても豊かです。

樹々が毎日息をしているのが分かり、リンジーたちの鳴き声に気を遣うほど人もいません。

独りでも助けてくれる友人知人はいますが、戦略的パートナーがいたほうが、田舎の暮らしはスムーズに進みますし楽しいものです。

僅かな収穫(まだまだ下手でまともな野菜はできません)で作る食事や、鹿に喰われて全滅する小さな畑。

柴を切りながらいつの間にか血だらけになっている手。

何もかも質素で、カフェのスイーツは選べないけれど、とても豊かで罪悪感のない暮らしです。

 

そうしていると、安くお米を譲ってくれる人が現れたり、薪をくれる人が現れたり、餅つきに誘ってもらったり、ジビエを頂いたり。

もうなんというか出会いが素晴らしいのです。

自分に何が出来るか、愛の循環はどうすれば起こるかばかり考えていますが、真の相互扶助で生きていけたら世界は平和です。

私利私欲のない素直な関係で付きあっていけるご近所さんも、幸福な生活の一部です。

 

そして、まだしばらく税金の支払いなどの『貨幣』を必要とする世界が続くとしても、このような活動、つまり私の生き様を『仕事』として認めていただけたら幸いです。

拙著に書いてあるような考え方、途上国での体験、都会人による都会人のための田舎暮らしの勧めなど、お役に立てることならなんでもやります。

講演やセミナーだけでなく、ワークショップ、お茶やお菓子を皆で食べながらのお話会など。

本来は物々交換だけで生きて逝きたいのですが、ファンタジーのおかげでそうもいきません。

 

ぜひ、話を聴きに来て下さい。

お待ちしております

 

今日も皆さんありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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