昨夜も外的要因で眠れず。
1時2時に起こされると、小学生時を最後に昼寝などしない私は日中かなり疲れるのであります。
自分の都合で徹夜するときは『意思力』なので問題なく、直近ではルビーを三日三晩温め続けた6月の徹夜。
「体力あるからいいやん」と言える利己的な思考と、「誰かがやってくれるだろう」という依存思考は、意識が低すぎて自ら不幸を引き寄せているようにしか見えません。
当たり前に他の命の時間を奪う行為に慣れすぎた日本人が山ほどいるけれど、キマンボやエスタママは忙しすぎて人の時間を奪う暇もありません。
多分、悪の根源は『暇』なのです。
怠惰はなぜ悪かというと、他者の命の時間を奪うことが大前提になっているからです。
隷属して朝から夜中までどこかの経営者または大株主の怠惰のために自分の命を提供し続けるのも相当馬鹿だと思いますが、同様に、誰かが助けてくれることを平気で搾取する人も?であります。
他人のために動くことを『人のため』という人は嘘をついています。
群れで生きる種であるサピエンスは相互に助け合うことで社会形成をしています。
自分が何を提供できるかで何を得られるか、つまりは自分のためであるのです。
動物は自分のためにしか生きません。
ネズミでも自分のことは自分でします。
ニンゲンという種はパターン化されていて、そのパターンの一つに、暇になると良くも悪くも何かとんでもないものを考えだすというものがあります。
もしそれが他者や他生物の命や時間を奪うようなことなら、即自給自足生活に入って暇をなくせばよろしい。
自分で生きて自分で死ぬのが生物の掟。
生物から外れいく生き物は死さえ不自然な形をとるでしょう。
ピトケアンがなぜ老衰ばかりだったのか。
今も誰にも邪魔されなかったら、自然に無人島に戻ったことでしょう。
自立したものと自立したものの相互扶助の先にある共生が最も幸福な世界を創ると思われます。
生命力に強弱はあるし、今や遺伝子にも差はあるだろうけど、それぞれのキャパなりの自立。
それでも怠惰でしか生きられないとしたなら、それは動物よりも退化した生物で、もはやサピエンスなどと名乗れないのではないかと思った小学生時の疑問がいまだ消えないでいることがとても残念です。
ニンゲンが好きな私はニンゲンが嫌いで、ずっとニンゲンを捜していました。
やっと見つけたニンゲンに
「あなたがもっともニンゲンらしい」
と言われ、私も
「あなたもニンゲンだったのね」
と概念の一致を確認できました。
愛するには愛する理由があり、愛されるには愛される理由があります。
その理由がまさか単なるまぐわいというようなまやかしなら愛など必要ないのです。
本物ばかり探してきました。本物にしか価値はありません。
万物に愛を
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