食を大切に 6

今朝は4時前後に目覚め、夢の中のお告げを言葉にして整理してから、土鍋でご飯を炊きにリビングへ。

昨日、近所の元四つ星レストランシェフから、手作りのドレッシングをいただきました。

近所では唯一料理の嗜好が合う人で、地元の高層マンション一軒ほどしか人口が居ないこの村で、そのような方と出会えるのは奇跡的です(笑)

野菜とニンニクが効いたドレッシングで、早速朝ごはんのサラダにかけていただきました。

愛情がしみわたります。

ただ作るだけでは功を奏しません。

ロボットが運んできたり、工場で作られた加工品がアレなのはそういうわけですね。

虚栄心や承認欲で作るものとは見た目や食材が同じでも全く異なるという話を聞いたことがあります。

それは料理だけでなく、人の関与するモノすべてにいえることでしょう。

誰も見ていなくても誰に言われなくても自己の深部から出てくるものが真の姿です。

芸術作品にそれを表している人もいますし、自分の仕事に全身全霊をかける人もいます。

意識は絶対に嘘をつけませんからね。

同じものでも誰から買うかで人生まで全然違うものになります。

そう考えればすべてがこの法則に則っていて、私の周囲で起きた不思議なことはみな説明がつきました。

 

今日は鰯のフライと、隣人にいただいた野菜などでお弁当を作りました。

「飯を作っているだけ」

と私に言う人がいますが(笑)まあ確かに殆どはそのために費やしているのですが。

「食うために働く」

という日本人のあの言葉を借りるなら、至極真っ当なことではないかと思うのです(笑)

命の源ですからね。

 

 

今朝は雨の恵みがありました。

川からの水くみは必要なかったのですが、早朝に畑に行くことにしました。

道程、羽黒蜻蛉たちがまだ眠っていました。

通り過ぎるたびに起こしてしまうので

「ごめんね、おはよう」

と申し訳なく歩きました。

 

そろそろ収穫できそうなものがあったので、様子を見てどれにするか吟味。

ついでに大きくなった雑草をざっと抜いて積み上げて・・・・・・。

涼しいのに汗だくです。

バケツいっぱい抱えて帰宅。

庭で葉を一枚ずつ丁寧に洗います。

今年は種から変えました。化成肥料や農薬なしで育つという自然の種。

畑仕事においてはひよっこなので、まだまだお試し期間です。

ビニールハウスにしたりマルチもしないのに、他の人に合わせて早めに蒔いてしまってだめになり、何度もやり直した人参。

それもなんとか食べられるくらいに育ちました。

シェリーは人参の葉も大好きなので、たくさん食べさせてあげられそうです。

キャベツは12月に種まきしたもの。春には素手で毎日虫をとり、小ぶりですがやっと一つ目が収穫できました。

スイスチャードも去年とは異なる種で、あまり虫に食われず大きく育ちました。

二番花の苺はシェリーに。(買った苺はまったく口にしてくれません)

タンポポの葉もシェリーのためですが、私たちの朝のサラダにいただくときもあります。

庭のマロウの花は毎日たくさん咲くのでハーブティーにします。

 

今日収穫した野菜たちは、私が特に思い入れの強いものばかり。きっと栄養価が他のとは異なるはず(笑)

母に食べさせてあげようと思っていたのに、早いもので明日は四十九日法要です。

家族みんなで食べようと思います。

 

以前、エネルギーのフォトンが視える人がいました。

こちらが出した光の玉(みたいなもの)が全く入らない人がいると言われました。

受容体がないのです。だから無駄だと。

10分の1、半分など人それぞれの受け取り方のようです。

赤ん坊でも同じだそうで、生まれつきのモノらしいです。

確かに遺伝学の研究者も私に同じようなことを言っていました。

ただ地球に存在するということは、ニンゲンが考える善悪や優劣ではなく、役割が全ての人にあるはずだと私は考えます。

無駄かもしれませんがこちらのスタンスは変える必要もないのだと思います。

合わない人は自分の世界から消えます。

その人はまた自分の世界を創ります。

 

必要だからそこに在って必要なければ淘汰される

 

生まれたままの自分を貫いて生きていれば自分に合った世界が出来上がるのです。

 

私の意識がきちんと届けば嬉しいです。

 

 

 

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

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