地元の散歩ルート
息子たちとは他市で暮らしていたため、時々電車で来た。
娘は毎朝亀に餌をやりに来たりして引っ越す直前まで通っていた。
子どもなのに蚤の市で骨とう品を買ったりしていた。
若い頃、仲良くなったここの人に
「あなたは本を書くべき」
と言われた。
まだ人に伝えたい事もなく、貢献できるような経験もないと思っていた頃。
息子のことがあって、ネットで公開したら話題になったので、本になった。
原稿もよくここへきて書いた。
書店に並んだ時、その人に伝えると発売日に買いに行ってくれた。
地元が嫌いなわけではない。
願望は説明が出来る未来予想図。
直感は良くも悪くも瞬時に脳がたたき出す自分の正解。
違和感は自分にとってのリスクである。
なので違和感を振り切って何かをすることを「勇気」とは呼ばない。
そういうこと。
途上国に永住したい自分が、とりあえず日本で定住を選んだのは責任感みたいなもの。
万物に与えてもらった命と叡智を無駄にするのはしのびない。
幼少の頃からニンゲン(自分含め)の行いをまるで地球の癌細胞だと感じていたから、誰とも話が合わなかった。
なので誰とも話さなかった。
自分の周囲にも常にプラスマイナスはあり、マイナスは淘汰されてなんとか生きている。
ネガティブな感情や事象は、いつも宇宙に飛んで行くことで己を冷静にさせる。
宇宙から見れば、自分などホコリ以下。
人工であろうがなかろうが、何もかも自然淘汰。
責任を『誰か』に持って行こうとしても、その誰かも地球の指示通り動かされる一細胞なのかもしれない。
地球がまだ生きるなら、癌細胞はいずれ自然治癒するだろう。
それがもしニンゲンなら淘汰される。
ニンゲンは、自分が行っていると思い込んでいるけれど、受精卵から上肺葉や中胚葉になっていくように、地球の決まった一連の流れの仕業で動かされているだけなのかもしれない。
そう考えると、目の前の負の何かにエネルギーをかけることが馬鹿らしく、せめて殺して喰った命に恥じないように、地球が組み込んだ使命を果たして愉しんで生きて逝くことが重要だと思えてくる。
もし自分が淘汰されるべく癌細胞なら、美しき緑の星の為に歓んで逝こう。
そうやって自分の中の闇さえ瞬時に消していくことが、命に対して最低限のマナーだろう。
万物に感謝
地球の自然治癒力が高まりますように
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