昭和に戻る

土鍋でおかゆを炊くと吹きこぼれが酷くて、すぐにコンロの掃除も必要。

以前はガラストップコンロでサッと拭けば終わりの楽ちんなタイプで、余程、掃除しない人でないと汚すことが難しいくらい良い品。でも今は、旧式でかつ様式で、五徳から全部外して熱湯はってしっかり掃除。なかなか大変。だけど、もし途上国に住んだらオーブン合体のこの型が欲しかったので、案外満足している。

今朝は珍しく和朝食。自家製味噌とうちの野菜のみそ汁、自家製漬物、自家製梅干に、無農薬米のおかゆ。雪が積もる寒い朝には良いのかも。

部屋の掃除は、基本棕櫚の箒。都心のマンションにいる頃からずっとそう。必要な場所だけ(絨毯の上など)掃除機。

埃が溜まらないと掃除をしないとか床の拭き掃除をしない人がわりといるけど、彼らは多分埃が生物だと知らないのだ。部屋を綺麗にするとかモノを積まないとかは、風水でも何でもなくて、そんな家に住んでいたら家族が病気になりやすくなるから「運が悪い」となるだけで(笑)だからと言って強迫観念にとりつかれ、薬剤でやりすぎるのも「運が悪い」(笑)

紅茶や緑茶を飲んだら、葉に殺菌作用もあるから、ギュッと搾ってフローリングの床を掃けばいい。ホコリも舞わないし一石二鳥。だからペットボトルで地球のゴミを増やすのではなく、茶葉を買おう。うちは茶葉は堆肥にしたりリンジーたちの餌にするので、最近は掃除には使えないのだけど。植物の恵みを無駄にしない方法はいろいろあると思う。

昨夜は畜産や農業関連の教科書を読んでいた。既に実践してしまっているから今更読んでもだいたい知ってることばかりであまり役に立ちそうにないけど、こういうことを学校で教えんるんだっていうことがわかって、きちんとやった子は即戦力になると言ってた先生の言葉の意味がよくわかった。誰かに役立ちそうなので、うちの本棚に立てておこう。

個人的には35年以上前から知っている自給自足民のある人の本が好きで、数冊持っている。最終的には衣食住全般に何でも自分でできるようにならないといけないと幼少期から考えていた。陶器や便利な道具(金物など)は既に持っているものを大事にして、職人さんに感謝して、永く使わせてもらいたい。

小2からの趣味は編み物で、冬にはセーターを7~8枚編んでいた。パッチワーク教室をしていたのも、いつか来る日の為に、小さな生地から大きな布団やカーテン、衣類に至るまで家族分を自分の手で創りあげるためで、ミシンを使ってしまったら本末転倒。コンテストにも一切興味なく……。それでもコットンや羊の毛が必要になるから安易に『買って』これ以上負荷をかけたくない気持ちが強い。昭和の戦後あたりは毛糸はほどいて編みかえるのが常で、近所の人は「だから縞模様のセーターばかりだった」と話していた。

パッチワークの技術があれば、コットンだけでなく、着物地やネクタイ、なんでも繋げて大きな生地に変身させられる。流行りの色合いのキルト作りでなく、そういった、家にある生地で何かを作っていきたいというニーズがあるなら、今からでも教室は再開してもよいのだけど(笑)

いつまで『買える』のかなあ~物流クライシスが起こると言われているのは今年。田舎でなくても、モノが運ばれてこない日が来るのかな。
昔みたくどこにでも商店街があって個人商店が卸売市場まで行って仕入れてくれば納期迫られた大型トラックの無茶な配送も必要ないのかな。この界隈でも閉まってる店舗がすべて開いたら、生活には困らないよう仕事も分担されていたことがわかる。都会でも同じだった。

 

戻れないわけじゃない。個人が戻さないだけなのだ。

今日も皆さんありがとう。

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