何を軸にするかで視野は限りなく広くなり器は大きくなる

日々起こる様々な憂いは、視野がひらけると瞬時に感じ方が変わります。

「視点」を変えてみるだけで、誰でもそれは可能だと私は考えています。

自分の価値観の「軸」をどこにするか、ということがキーポイントなんですね。

自分の身体を軸にしてみる

たとえば、私たちの細胞は60兆個とも37兆個とも35兆個とも言われていますが。

まず、自分をパズルのように分解して創り方を知るとニンゲンが見えてきます。

たとえば、小さな細胞が集まって身体が出来ていますよね。どこかで傷が出来ると、自然のシステムがそれを治癒させようと、血をかためたり、白血球が闘ったり·····いらなくなった角質は剥がれ落ち、皮膚は次々に新しくなったりします。

自然淘汰され、要らないものは死んでいき、新しく生まれるものは生まれる。生まれたものはいつか死ぬ。

いちいち考えたり命令しなくても、ひとりでに流れていく事象です。

そして身体の様々な細胞が集合して教えなくても自然に個人をつくっています。

心の傷なども同様で、誰かが死んだとき「もう生きていけない」と思ったはずが、徐々に悲しみは薄れ、きちんと「忘れる」という働きが心を癒していってくれます。何年もその瞬間の感情のままなら生きていけないことはたくさんあるでしょう。

 

それを別にものに置きかえてみる

ではこれを地球に置き換えてみてください。

たとえば私はこんな風に考えました。

地球は受精卵  

参照:MAHIRO思考 2

受精卵から胎児になっていく過程で、私たちは母親の血液やホルモンの影響を受けながらも、自然に外肺葉、中胚葉、上肺葉などと分かれ、それぞれの臓器や顔かたちを創り、一生物として完成して生まれてきます。同じように、地球を受精卵だと考えたら、そこから生まれ出たのはたくさんの細胞、つまり万物になるのです。

 

地球上での闘いは白血球のようなもの。

地球の環境破壊は癌細胞や、膿のようなもの。

 

そして地球の不具合が、もしも人間が存在することで起こっているとするなら「自然治癒力」でもってして、いずれ淘汰されてしまうのではないでしょうか。

細胞のアポトーシスのようなものでしょう。

アポトーシスとは⇒細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死

このような循環や自然の流れには逆らえないのではないかと思えてしかたないのです。

地球上の自然災害や、人間の非道な行いや環境破壊などでさえも、人間でいうケガや病気のようなものだとしたら、自然治癒力でいずれ地球が「治そう」と働くはずなんのです。

 

このように地球に視点を移すことが出来たら、それを人間関係に活かすこともできます。

 

人間関係や人生に役立てる

幼少期つらいことが多くて、病気がちだったのですが、学校の先生たちは頼りにならず、誰にも相談できず、こんな風に考えたんですね。

 

「自分の立ってる位置」を自覚しよう

 

私は大阪に住んでいました。宇宙に意識を飛ばしてみました。すると地球が見えます。

参照http://free-photos.gatag.net/tag/%E5%9C%B0%E7%90%83/page/5

今度は、地球の中の日本列島が見えます。

その中の大阪が見えてきます。

そのある街の中に、塵にも満たないほど小さな存在の自分が在るのです。

 

このとき思ったんですね。

「こんな塵にも満たない自分の悩みなんていかにちっぽけで大したことないんだろう」って・・・・

 

これは今も変わらない感覚です。自分を信じてはいても、過大評価はできません。人間は単なる生物の一種で、宇宙を支配することもできません。

 

有難いことに義務教育の小学校でこれら、宇宙のことや地球の位置や生物について勉強させていただきました。

 

視点を自分から地球または宇宙に置き換えただけで、悩みのちっぽけさに気付き、傲慢さに気付き、悩んでいたことさえも重要なことには思えなくなりました。

 

何よりも大きなメリットは、人を赦すことが出来るということです。

また自分を赦すこともできるということにつながります。

 

過去記事:誰かを赦せない人が抱えているもの

 

「他人の評価=世間体」という軸の人がとても多い国だと感じていますが、それは視点が固まってしまっているだけなのではないかと思われます。

 

視点を変えるということは大切だと思います。自分が楽になりますし、人を受け容れることにもつながります。

 

だから正しいとおし付けることや、善悪も決めつけることも出来なくなってくるんですね。

 

時間についても、地球の時間と私たち「ニンゲン」の時間の感覚は多分大きく異なっていると思うのです。地球でいえば数秒にあたる時期に絶滅や環境破壊が起こっているのではないかと。

 

ニンゲンという生物を生み出したものの、厄介なことになって、時期が来たら地球の自然システムが作動して人間は絶滅するのではないかとか……

 

地球が死を迎える瞬間が人間の心臓が止まることだとしたなら、その「心臓」になっているものが人間でない限り、先にニンゲンは絶滅するかもしれない、などと想像します。

 

必要な物ならそこに在って

必要なければ淘汰される 

参照:MAHIRO思考5

 

それだけのことなのだとしたら、どんな人も必要だから生きてるとよく言われるあの言葉も理解できます。

 

悲しいことやつらいことがある人が、少しでも視点を変えることができたなら幸いです。

 

今日もお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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