よくスピリチュアル系と勘違いされるのですが、それは全く違っていて、私は超現実主義者です。
ただ、特異な体験や検証が多いため、不思議に見えるだけなのかもしれません。
人材育成や講演についても、基本的に自分が体験したことや、数十年検証してみた結果やはりこうだと思うことしか話せません。
なぜなら、どこかで習った言葉や知識は、実際に自分が体得していないゆえに、自分で何の確証も持たない無責任なものでしかないからです。
ですから虚栄心で他人の言葉を模倣し話す人をみると、他者を馬鹿にしているようにしか感じないのです。
マニュアル通りにしか話せない人は、幼児期から親の言う通りにしか動いてこなかったのかもしれません。
そういう人々は、大学に行っても就職をしても、誰かの言いなりに動くようになるのかもしれません。
逆にコントロールしたがる人は、そのような行動から転じて反対側に回りたいという潜在意識の表れかもしれません。
世の中には、人が人をコントロールすることに興味のない類が存在します。
自分で考え生きている人はそこに価値を見出せません。
代わりに誰かに依存も固執もしません。
半世紀も生きていると、ニンゲンがパターン化されていることに気づきます。
幼児期に疑問をもったそれらをずっと検証してきたということになります。
傾聴し、凝視し、真剣にお付き合いをしたら、大抵の人はわかると思います。
ですからある程度の年齢にならないと言えないことがあるのですね。
いまやサピエンスは地球を征服するかの如く数多くいて、本当に皆が同じ種に属するのか、もうかなり昔に分化しているのかわかりません。
もしくはガラパゴスのように、ある島国では特化した進化もしくは退化が起こっているかもしれません。
これらはスピリチュアルではなく、超現実的に考えた時に出てくる疑問です。
多分人々も、同じ方向に向かっているようでそうではないのです。
ニンゲンの才能も多種多様で、ベルトコンベヤーの検品作業を8時間も続けられる忍耐力は経営者にはないかもしれません。
ホテルのベッドメイキングを20年続けるのは才能でもあり、誰かが決めた『価値』と才能は比例しません。
そんなことを考えながら生きている時、思いがけず動物を多頭飼いしなくてはならない状況になりました。
得るものが大きすぎて、それまで主に植物にばかり集中していた視点が変化しました。
その後も幾種か共生してみて視えてきた個体差や種の違いを踏まえ、生物全体の共通点を考える時、ニンゲンも含めて云えることはあります。
彼らが与えてくれた叡智です。
動物は自分のためにしか生きない
生きるために他生命を喰らう
教えなくても知っていることがある
仲間にできることは自分にもできる
死の間近であってもやらなくてはならないことは自分でしようとする
そして独りで逝く
などでしょうか。
なので、自分は生物らしいニンゲンが好きだったのだと分かりました。
まるで映画のワンシーンのように、耳障りのよい言葉に自己陶酔する人の言葉は聞くに堪えません。
仲間と言われてもしっくりこないのはその辺だったのかもしれません。
肌の色や言葉、文化の違いも越えて好きな人はいます。
美しさは潔さだと思っています。
今日死んでもいいように生きようと思えば、自分にとって何が大切で何が不要か明確になります。
そうすると迷いもなくなります。
自分の才能を信じてみたり、大切な人に想いを伝えたり、会いたい人に会ったり……
失敗しても生きていればやり直しはきくでしょう。
それでもダメな時は
「ああ、そろそろ疲れたな。よく頑張ったな」
といってさようなら。
そんなものなのかもしれません。
現実をしっかり視て聴いて、思い込みは出来る限り外しましょう。
目の前の犬や猫、雀やゴキブリ、ネズミたちに教えてもらえることが山ほどあります。
それが視えるようになれば、自分の世界観は刹那に変わるのです。
今日も皆さんありがとう。
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