超絶主義という言葉。
聞いたことがありませんでした。
1800年代のアメリカの哲学運動の一種のようです。
直感や自然への信頼、性善説等をベースにしているみたいで、とても興味深いジャンル。
早速、書籍を注文しました。
このようなHPを書いていながら、私自身はフォントで何かを読むのは好きではありません。
断然、紙媒体の本か、自筆の手紙など。
そちらのほうが全体的な雰囲気、手触り、文字に乗った書き手のオーラなどから記憶にもプラスな気がします。
少し前、公立進学校では、電子辞書(当時はタブレットやスマホはない)ではなく、分厚い辞書を引きなさいと先生方に言われたそうです。
そのほうが頭によくはいるとか。
英語の勉強でも机上でするのではなく、身体を使った方が覚えると言いますね。
確かに数十年経った今現在も、教えてくれた教科書にない話は、先生が教壇に立ってこっちを向いている教室の風景全体で記憶しています。
本を読むのはそれとは逆で、机上の作業が多いのですが、出来るだけすぐに、知り得た情報をアウトプット、もしくは何年かかっても検証し続けるということが、記憶や自分の体験として蓄積されやすいかと感じています。
私自身は小説は読まない主義で、主に研究者が書いた専門書が好きです。
医療関係、動物行動学、植物、食、自然療法、スピリチュアルの科学的なもの、アナログな手仕事のレシピなどなど。
写真集も好きですが、星野道夫さんと岩合さん、ベルンハルトなどに限っています。
絵画は洋画オンリーですが、クリムトとシャガールの晩年の作品が大好きです。
そういうものに囲まれ、なるたけ自立度をアップし、『喰うための仕事』を本気でやっていく生活を目指しています。
環境によくない人工的エネルギーにはなるたけ頼りたくはありません。
土地も破壊されるし、地球にまた人工物が増えてしまいますしね。
かつて環境学習の講義を1年間受講した際、様々な教授が仰っていた生活と、現在言われていることがかけ離れていってるように感じます。
昨今、生きる前提条件を「怠惰で楽をするには」とか「永遠に生きるためには」とするような摩訶不思議な流れがあります。
実際に考えなくてはならないのは「地球の他生物に負荷をかけないためには」とか「できるだけ人工物を増やさないためには」ってのが環境配慮ではないかと思いますが(笑)
そのような価値観で見つけたヘンリー・D・ソローの本は即買いでした。
ふとしたことから必要なものを引き寄せてくれるのは、インターネットのおかげです。
タラビッチの言うようにあっちの世界と最も近いのは『イメージの視える箱』なのでしょう。
30過ぎの頃、図書館の気になるコーナーの文献を片っ端から借りて読みました。
ネットにデータ保存するのではなく、当時もノートに書き写していました。
なので小さな娘を育てながら毎日6時間独学していました。
あの当時、分厚過ぎて二週間もかかっていたジャンルの本も今はのぞみの往復で読破できます。
ヒットポイントはたくさんたまっていますが、なかなか使うところがありません(笑)
今日も皆さんありがとう
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